新潟地方裁判所 平成4年(ヲ)18号 決定 1992年3月10日
申立人(買受人) 甲野太郎
申立人代理人弁護士 平沢啓吉
主文
当裁判所が、当庁平成三年(ケ)第九七号不動産競売事件について、平成四年一月二三日になした売却許可決定は、これを取り消す。
理由
一 申立人代理人は、主文と同旨の決定を求め、その申立ての理由は別紙記載のとおりである。
二 そこで判断するに、一件記録によれば、次の各事実を認めることができる。
(一) 当裁判所は、株式会社朝日不動産ローンの申立てにより、平成三年八月二六日、別紙物件目録記載の土地、建物(以下「本件土地、建物」という。)について不動産競売開始決定をした。同年一〇月七日、評価人が本件土地一の評価額を金一九〇万円、本件土地二の評価額を金一四一万円、本件土地三の評価額を金一万円、本件土地四の評価額を金三五万円、本件建物の評価額を金六四〇万円とする評価書を、同月一五日、当裁判所執行官が現況調査報告書を各提出した。そこで、当裁判所は、前記評価書に基づき同月二二日、本件土地、建物の最低売却価額(一括売却価額)を同評価額と同じ金一〇〇七万円と定め、これに関する物件明細書を作成したうえ、この明細書とともに前記評価書及び現況調査報告書を当裁判所内に備え置き、その後、期間入札の方法で本件土地、建物の売却を実施したところ、入札期間中の平成四年一月一三日、申立人より、本件土地、建物を金一三〇九万一八〇〇円(一括売却価額)の最高価で買受ける旨の申出がなされたので、同月二三日、申立人を適法な最高価買受申出人と認め、同金額でこれを売却することを許可する旨の売却許可決定をした。しかし、申立人は未だ前記金額を納付するに至ってはいない。
(二) ところが、本件土地、建物については、申立人の買受申出前である昭和六〇年九月下旬から昭和六三年六月ころの間に四件の嬰児殺人事件が発生し、平成三年三月三一日から同年四月一五日の間に嬰児死体四体が発見された。
(三) しかしながら、申立人は、前記買受申出当時、本件土地、建物において嬰児殺人事件の発生及び嬰児死体が発見されたことを全く知らないまま(前記評価書、現況調査報告書及び物件明細書は、いずれも前記事件発生後に作成、提出されたものであるが、この点についてはなんらの記載もされておらず、評価人が評価額を決定するにあたっては、前記事件の風評を聞いていたことから若干の考慮をしたようではあるが、評価額及び最低売却価額の決定に際してもこのことは必ずしも充分に考慮されていなかった。)、前記のとおり、本件土地、建物の買受けの申出をし、その旨の許可を得たが、この事実を知っていたならば、本件土地、建物を前記金額にて買受ける意思はなかったものであり、別紙記載の理由により、平成四年二月五日当裁判所に対し、前記売却許可決定取消の申立てをするに至ったものである。
(四) そこで、当裁判所は、嬰児殺人事件の発生及び嬰児死体が発見されたことを前提とした評価額につき、前記評価人の意見を求めたところ、評価人は、平成四年二月二五日、当裁判所に対し、前記嬰児死体が発見されたこと等を前提とする評価額は、本件土地、建物が居住用の物件であることを考慮し、前の評価額より本件土地一、二、四につき七パーセント、本件建物につき三〇パーセントを各減額すべきである旨記載した評価補充書を提出した。
三 以上の事実をもとに、以下民事執行法七五条一項、一八八条の適用につき検討する。
(一) まず、嬰児殺人事件の発生及び嬰児死体の発見の事実と交換価値の減少の関係につき検討する。
人の居住用建物の交換価値が減少をきたすというためには、買受人本人が住み心地のよさを欠くと感ずるだけでは足りず、通常一般人において住み心地のよさを欠くと感ずることに合理性があると判断される程度に至ったものであることを必要とすると解すべきである。これを本件においてみると、本件土地、建物において嬰児殺人事件が発生したのは、前記買受申出から約三年八ケ月乃至六年五ケ月前の出来事であり、嬰児死体が発見されたのは、約九乃至一〇ケ月位前の出来事であり、本件土地、建物に居住した場合、前記事件があったところに居住しているとの話題や指摘が人々によって繰り返され、これが居住者の耳に届く状態や奇異な様子を示されたりする状態が永く続くであろうことは容易に推測できるところである。
してみると、本件土地、建物については、一般人において住み心地のよさを欠くと感ずることに合理性があると判断される程度にいたる事情があり、交換価値の減少があるということは否定することができない。
(二) 次に、本件のように、物理的損傷以外のもので、かつ、買受申出以前の事情による交換価値の減少の場合にも民事執行法七五条一項、一八八条が適用されるかについて検討する。
民事執行法七五条一項、一八八条にいう天災その他による不動産の損傷とは、本来、地震、火災、人為的破壊等の物理的損傷を指すものと解されるが、買受人が不測の損害を被ることは、前記の物理的損傷以外で不動産の交換価値が著しく損なわれた場合も同様であるから、その場合も同条項を類推適用しうると解すべきである。
また、同条項の文言によると、前記損傷は、「買受けの申出をした後」に生じた場合に限定しているが、買受けの申出の前に生じた損傷についてもこれが現況調査、評価人の評価、それにもとづく最低売却価額の決定及び物件明細書の記載に考慮されていない場合もあり、買受申出人が買受申出前に前記事情を知らない限り、買受申出人にとってみればそのような場合も買受申出後に損傷が生じた場合となんら選ぶところがないから、前記のような場合も同条項を適用しうると解すべきである。
これを本件においてみるに、前示のように嬰児殺人事件の発生及び嬰児死体の発見に起因した住み心地のよさの欠如による交換価値の減少が認められ、また、それは、現況調査報告書、評価書及び物件明細書にはいずれも記載されておらず、また、評価人の評価額及び最低売却価額の決定にあたっては必ずしも充分に考慮されておらず、申立人も買受申出前には、前記事情を知らなかったことが認められるから、本件においても民事執行法七五条一項、一八八条の適用を妨げないというべきである。
(三) また、前示のように、平成四年二月二五日に提出された評価人の評価補充書では、嬰児殺人事件の発生及び嬰児死体が発見されたことを前提とする評価額は、本件土地、建物が居住用物件であることを考慮のうえ、前の評価額より本件土地一、二、四については七パーセント、本件建物については三〇パーセントを各減額すべきものとしていることを考慮すると、前記交換価値の減少は軽微なものといえないことは明らかである。
以上によれば、本件土地、建物において嬰児殺人事件が発生したこと及び嬰児死体が発見されたということは、本件土地、建物の交換価値に著しい減少をきたしたということができ、これと本件に現れた一切の事情を考慮すると、申立人は、民事執行法七五条一項、一八八条を類推適用して、当裁判所に対し、前記売却許可決定の取消しの申立をなし得るものというべきところ、申立人の本件申立は理由があるのでこれを認容し、前記売却許可決定を取り消すこととして主文のとおり決定する。
(裁判官 定塚誠)
<以下省略>